テルモと医療の歴史

先日、所用にてテルモメディカルプラネックスを訪問しました。プラネックスは医療シミュレーションや動物実験を行う施設です。
アメリカで訪問したALARYSやHOSPILAの本社には医療シミュレーションを行う部屋がありました。そこでは、ベッドや呼吸器・ポンプなどが病院んさながらに置かれ、自社製品の医療現場での使い勝手をチェックしたり、実際に医療者にシミュレーションをしてもらい新たな製品開発につながるアイデア拾い出したりといった事を行っていました。日本では見かけなかったそういった取り組みとアメリカならではのスケールの大きさにビックリしたものでした。しかし、今回訪れたテルモメディカルプラネックスの医療シュミレーションゾーンの広さと施設の充実ぶりは飛びぬけており、以前見学した米国の2社と比べても広さで10倍以上、ICU・病室・手術台が2台置いてある手術室、薬局、在宅と考えられるシチュエーションは全て網羅されていました。
テルモプラネックスを使い自社開発製品のチェックのみならず、営業担当者に自社製品を使わせてみてその特色を実体験させていました。また、医療シュミレーションの発展の為に、医師・看護師・MEなど全ての医療従事者向けに施設を開放しています。私達が訪問した日も全部で10組くらいの医療者がこの施設を利用していたようです。実際に巨費を投じてこれだけの施設を作り、運営しているテルモの姿勢には感銘を受けました。

プラネックスの一角には、自社製品の変遷をたどる展示コーナーと、注射器や体温計などの歴史をたどる「医療器の歩み」コーナー、心臓手術の歴史と人工肺から人工心臓への流れを紹介する「人工心臓の歴史資料」コーナーなどがありました。森下仁丹の子会社だった頃の商品に書かれていた「ジンタンテルモ」という文字や、水銀体温計を作るために長〜いガラスを引いている写真など、興味深い資料が多数展示されています。また、人工心臓の開発に執念を燃やした元社長・阿久津哲造氏ゆかりの人工心臓が年代を追って多数展示されています。

また、テルモのホームページには医療の歴史関連の項目が多数あり、大変楽しめるものとなっています

 人工心臓の歴史

 医療の歴史がわかるテルモライブラリ

  ライブラリ内の医療の歴史エピソード集はとても充実しています

プラネックスは残念ながら全館撮影禁止なので写真はありません

 

第108回日本医史学会総会および学術大会

2007医史学会


4月7日の大阪はあいにくの小雨模用でしたが、大阪市大校舎には全国各地から医学史研究者がつめかけ、朝からみっちりと詰まった発表に熱心に耳を傾けていました。医史学会は、通常の学会では名誉会員に当たる位のベテラン会員が現役バリバリで発表し討論する学会ですが、今回は大学院生位の若い参加者を数多く見かけたのが印象的でした。

今回のメインテーマはご当地「大阪の蘭学史」でした。江戸時代に全国の薬の流通を一手に担った道修町緒方洪庵適塾など、日本の医学史にとって欠かせない場所を多数持つ大阪ならではの豊富なエピソードや文物を多数見聞きする事ができました。大阪において蘭学が発展したのには「①経済都市大阪で財力を持った豪商達が競って西洋の文物を集め、また彼らがパトロンとなって蘭学者・学塾を支えた②大阪商人の実学を重んじる姿勢が合理的な西洋文明とマッチした」といった理由があったようです。

昨年は中津、今年は大阪、この秋は長崎、来春は佐倉と会場を移しながら、ご当地に栄えた医学に光をあて掘り起こしていく医史学会は参加するだけでも非常に楽しいのですが、懇親会では「やはり発表しなきゃだめだよ」と発破をかけられます。来年の佐倉ではなんとか一演題出したいと考えています

(写真左上:会長講演、右上:お弁当に咲いた桜、下:市大医学部校舎から中庭を望む)

第108回日本医史学会総会および学術大会

医史学会


来る4月7日(土)8日(日)の2日間、大阪天王寺にある大阪市立大学医学部学舎及び関連施設にて、第108回日本医史学会総会および学術大会が開催されます。今回の会場大阪を題材とした講演などが多数企画されています。また、医学関連の史跡や博物館においても共同企画展示が催されます。道修町適塾など医学の歴史あふれる大阪で開かれる本学会に大いに期待しています。

写真は昨年大分中津で開催された本学会の様子

第34回日本集中治療医学会学術集会

学術集会の前日の夜には、会長が評議員や名誉会員などを集め学会開催のお礼と明日からの学術集会への協力を依頼するために、会長招宴というものを行なうのが通例です。しかし集中治療医学会は今年から有限責任中間法人というものになり、公的な性格を帯びる事となりました。加えて公正取引委員会からの様々な指摘もあり、本学術集会は大きくその性格を一変させる事となりました。取り組みの一環として今回の丸山学会長は会長招宴を廃し、一般会員がオープンに参加できる”歓迎の夕べ”を新設し、一般プログラムの中に取り込む事としたのです。

歓迎の夕べでは、近世大阪において緒方洪庵と共に「学の洪庵,術の老柳」と並び称された原老柳の事跡について、ノンフィクション作家・松本 順司先生の講演があるとの事で参加してきました。講演では原老柳の事跡について、彼の人間くさいエピソードをふんだんに交えながらお聞かせいただきました。原老柳は漢学と蘭学に通じた確かな知識と腕を持ち、お金に執着せず患者を平等に扱い、酒や文化にも通じた優れた人物であったそうです。老柳は頻繁にとりあげられる人物ではないため、そのエピソードは大変面白いものでありました。

ふぉん・しいほるとの娘

休日にもアルバイトで稼がなければならないのは院生の悲しいさだめです。しかし一方、休日待機バイトでは呼ばれさえしなければ、まとまった時間が取れる良いチャンスともなります。この3連休連続待機中に、日本医家伝で興味を持ったシーボルトの娘「お稲」の一生を追った「ふぉん・しいほるとの娘(吉村昭著)」を読む事ができました。

本作は幕末にオランダ人と偽って日本の国情を探ったシーボルトが、遊女其扇に生ませた娘「お稲」の一生を追った小説です。お稲は幾多の苦難を乗り越え、日本最初の女医として産科医の道を極めようと努力しました。苦難に満ちた彼女や取り巻く人々の生き様がリアルに伝わってくる作品でした。また、彼女の生きた幕末〜明治維新期の情勢もふんだんに織り込まれています。この頃を題材にした小説は非常に多いためか、本作を読んでいても、お稲が一時期村田六蔵に学んでいたり、福沢諭吉と交流があったりなど、人間関係が縦横に広がっていくのが非常に面白く感じました。

お稲・荻野ぎん・吉岡弥生など江戸末期から明治初頭にかけて女医となった人々は、女性として社会に出て行くだけでも大変な時代に、医師の道を究めようとする情熱と努力にあふれており、伝記を読むと本当に熱い気持ちにさせられます。

ふぉん・しいほるとの娘(上) (新潮文庫)

ふぉん・しいほるとの娘(上) (新潮文庫)

ふぉん・しいほるとの娘(下) (新潮文庫)

ふぉん・しいほるとの娘(下) (新潮文庫)

日本医家伝

吉村昭著「日本医家伝」1973年講談社を読む。とても有名な本なのですが、今まで出会う機会がありませんでした。ある日Amazonマーケットプレイスで見つけたのですが、なんと1円でした(送料は340円)。あまりの安さに怪しく思ったのですが、まともな本が届かなくても341円ならいいかと注文してみたところ、届いた本は案外まともでびっくりしました。

同書の内容については最近の研究成果と合わない所も出てきているようですが、さすがは吉村昭、読み物としてとても面白く一気に読めてしまいます。著者の後書きには「著名な医家である事はもちろんだが、あくまでも人間的に私の関心を強くひく人物を書く事にした」とあります。登場する12人は、名を上げた後に転落人生を送るなど、とても人間くさい人達ばかりなのですが、医学へのあくなき情熱を持って猛烈に勉強した人達です。つい日常に埋没しそうになる館長には大きな刺激となりました

日本医家伝 (講談社文庫 よ)

日本医家伝 (講談社文庫 よ)

オピオイド麻酔の誕生

世はレミフェンタ一色ですが、朝の論文紹介に大量モルヒネ麻酔が広まる契機となった Lowenstein の 1969年の論文、Cardiovascular response to large doses of intravenous morphine in man. New England Journal of Medicine, Vol 281, No25, 1969 を Lowenstein 自身が回顧した文章 The Birth of Opioid Anesthesia. Anesthesiology 2004; 100:1013-5 をとりあげました。

1962年MGHでは心臓手術の麻酔導入にチオペンタール・サクシニルコリンを用い、笑気・ハロタン・クラーレで維持していました。麻酔導入には必ず低血圧と頻脈がおこり、実に3/7が麻酔導入時心停止を起こしました。一見成功に思えた手術後にも患者が急死する事が良くあったそうです。しかし、大量モルヒネの導入により、麻酔時・集中治療時の患者管理はとても安全になったと記されていました。

発表を聞いてくれた先輩からは「セボが世の中に出たときも麻酔管理が一気に簡単になった」というコメントをもらいました。果たしてレミフェンタの登場も麻酔の管理を変えるエポックとなるのか?時代の節目に居合わせられる事を幸運に思います